しのだちぃ

元アートディレクターです、独自のイラストを添えて連日更新しております、、

人のふり見て我がふり直せ、、



人は一人では生きていけないよ、、
わたしは、その言葉は幾度となく耳にした、、
それは確かにそうだと思う、
わたしは老後の不安が繰り返し頭に浮かぶ、、


この先をどうすればいい、、
そう思うと、わたしはあの時のことは
多少のことは目をつぶって妥協しておれば、
こんなわたしではなかったのにと後悔する、、


人にはそれぞれ事情というものがある、
それを誰もが気遣い、やがてわたしから遠のく、、
わたしは独り身の寂しさを紛らわすために、
今日も二駅先の体育館にいそいそと出掛けた、、



体育館には団塊世代と思われる、
いつもの顔ぶれに会う、
とは言っても挨拶をすることはない、、
わたしはインターバルの間、
その人たちの運動を遠目に見ている、、


インストラクターの経験者であった
わたしからすれば、あの人も、この人も、
正しいトレーニングのやり方ではない、
ヘタするとケガをする、、


家族に迷惑を掛けたくないから鍛えるのか、
居場所がなくて来ているのだとすれば、
わたしは、やさしく見守っていようと思った、、



しかし、どんなやり方であっても、
マシン、バーベル、ダンベルを使う
トレーニングの後は確実に筋肉痛がくる、、


たとえば、その夜は筋肉のハリがあり、
翌日は筋肉の疲労日、次の日は筋肉の回復日、
そして超回復日、安定日となって筋肉が強くなる、、


この中4日、中5日で誰もがこの運動を繰り返す、
これは、よく耳にする野球のピッチャーの当番日で
表現される、それを心地よいと思う人もおれば、
その痛さに我慢できず病院に駆け込む人もいる、、




わたしはこのトレーニングを週二回の目安で
かれこれ25年近く続けてきた、
これもいわば孤独の寂しさから逃れるためだと言える、
でも、それを訊く人はいないし、言うこともない、、


わたしはメニューを終え着替えると、
その足で図書館に移動した、
図書館では、新聞を広げて眠そうにしている
人もいれば、膝の上に置いた本に
目を通すこともせず眠っている人もいる、、


このお年寄りも家では居場所のない人かも、
もしくは伴侶のいない寂しいひとり者のように
わたしは思える、、


人のふり見て我がふり直せ、だとすれば、
わたしも同じカテゴリーに入る、、
わたしは本を借りると、すぐに図書館を出た、、


わたしは、まだすることがあるし、
この先も一人で生きていかなければならない、、
そう思うと、わたしはいつもより背筋を伸ばして、
力強く歩いて駅に向かった、、


そんなじぶんの姿は滑稽に思えた、、
これは、わたしの居直りともいえる、、
駅の階段を下りた頃に筋肉痛を感じた、、
今日は、早く寝なきゃ、
わたしはまた繰り返し老後のことを考え、
寂しさと闘わなければならない、、





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