しのだちぃ

元アートディレクターです、独自のイラストを添えて連日更新しております、、

桜とツツジ、入学式に行けなかったあの日、、



当時わたしが住んでいたのは筑豊の大きな炭鉱町、
その日は桜が満開だった4月の始めで、
わたしは中学1年生になるその日だった、、
新しい制服で入学式に臨む同級生を横目に、
わたしはこの日、普段着でひとり病院に向かった、、


「あらっ、やっぱりひとりで来たんだ、、」
ちょっと待っててね、すぐ手術の準備ができるから」、
看護師さんに、そう云われたわたしは、
手術室の端の椅子に座って静かに待った、、


手術室のガラス越しに、もう躑躅が咲いている、
わたしはそれをを見つめながら待った、、
看護師さんは手術のトレーの上にカチャカチャと
メスや鉗子など、遠慮なしに音を立てて並べた、、




この日はわたしの入学式だったのに
急性盲腸炎で手術を受ける、母親は来ない、、
母親は手術代を安くすむように頼んだらしく、
とうぜん局部だけの気薄な麻酔で、
わたしは、お腹にメスを入れた痛さに
我慢できず声を荒げた、、


看護師さんが4人で、わたしの両手両脚を抑えた、、
それでもわたしは暴れた、主治医さんが、
「うるさい!もうすぐだから我慢しなさい!」と、
鉗子を手にしてわたしの額を強く叩いた、、
その痛みもわたしは記憶としてある、、


手術がすんだ、先生が、、
「ほらぁ、これが盲腸だよ、、」とわたしの頭上に
ぶら下げて見せたけど、わたしは痛さの余韻と
叩かれた悔しさで、それには見向きもしなかった、、




それで、わたしは可愛くない子だ、とも言われた、、
わたしは涙を手で拭いながら、盲腸の手術なんて
カンタンだと言ったのに騙されたと思った、、
その傷は4針ほどの大きさで右下腹部に今も残っている、、


当時は精米が乱雑でお米に石が混ざっていた時代だった、、
わたしは母親に云われ、シートの上に広げたお米を、
手の甲で選り分け石を取り除くのが日課で、
その石が盲腸の原因だったことを、わたしは後で知った、、


貧乏の家で育ったわたしは、
手術代をケチり一週間も病室に来なかった、、
母親を恨めしく思ったりもした、、
母親は退院の日におカネだけ払いに来ると、
その足でさっさと仕事先に戻ったようだった、、



そんなこともあってわたしは
人を頼らない人間になってしまい、いまだに一人、、
それはすごく自由だけど正直寂しくもある、でも強い、
これは断言できるけど何ごとも中途半端で終わっている、、


それを親のせいだと思いたくはないけど、
せめて、ノートや絵具を持たせてくれる、
普通の家庭に生まれたかったというのがわたしの本音、、
でも、育ててくれてありがとう、、





Spring Is Nearly Here/The Shadows


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